2024年1月26日、50年近くも逃走していた指名手配犯・桐島聡容疑者と見られる男が警視庁公安部に身柄を確保されました。
男は「内田洋(うちだひろし)」という偽名を使って入院しており、末期の胃がんを患っていたとのことです。
2024年1月29日に入院先の病院で死亡が確認されましたが、家族はいたのでしょうか?
今回は桐島聡容疑者の両親や兄弟、奥さんや子供について調べてみました。
桐島聡容疑者と見られる男が死亡
1970年代の連続企業爆破事件を巡り、警視庁公安部が過激派「東アジア反日武装戦線」メンバーの桐島聡容疑者(70)(爆発物取締罰則違反容疑で指名手配)とみていた男が29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡した。末期の胃がんだった。公安部は今後、DNA型鑑定で桐島容疑者本人と確認されれば、容疑者死亡のまま書類送検する方針。
引用:讀賣新聞オンライン
2024年1月26日に桐島聡容疑者と見られる男が警視庁公安部に確保されたことが速報で報じられました。
50年近くも逃亡していた指名手配犯が確保されたということで、世間の注目を集めています。
そんな桐島聡容疑者と見られる男は、末期がんを患っており、2週間程前から入院していたようです。
入院中に自ら本名を名乗り出たことで確保に至りました。
確保されてからわずか3日で亡くなっていることから、自分の死期を悟り最後に名乗り出たというのがひしひしと感じられます。
また、桐島聡容疑者は内田洋(うちだひろし)という偽名を使い神奈川県の工務店で住み込みで数十年働いていたこともわかってきました。
50年近くも逃亡していた桐島聡容疑者は普通に働いて生活していたことに驚きですね。
そんな桐島聡容疑者に家族はいたのでしょうか?
桐島聡容疑者の両親は?
桐島聡容疑者の両親についての情報は何もわかっていません。
父親
桐島聡容疑者の父親は農林水産省の地方職員だったという情報もあるようですが、根拠が見当たらないため真実はわかっていません。
名前も顔画像も出回っていない状況です。
桐島聡容疑者の年齢が70歳であるため、父親の年齢はどんなに若くても90歳代だと思われます。
人生100年時代とも言われていますが、男性の平均寿命は81歳であるため、年齢的には父親も亡くなっているかもしれませんね。
ご健在だとしても働ける年齢ではないので、年金で生活しているのではないでしょうか。
また桐島聡容疑者は広島県深安郡神戸町(現・福山市)出身ですが、事件以降ご両親は引っ越しされている可能性が高いと思われます。
田舎という狭い社会であれば、指名手配犯となった息子の両親という目で見られてしまい、そこで暮らしていくことは難しいですもんね。
そのため、桐島聡容疑者の両親ということをバレないように、ひっそりと暮らしているかもしれません。
母親
母親についても何も情報はわかっていません。
父親と同じく、名前も顔画像も出回っていない状況です。
時代的には父親が働き、母親は専業主婦で家事と育児をする時代です。
そのため、桐島聡容疑者の母親も専業主婦だった可能性が高いと思われます。
専業主婦だとしたら、桐島聡容疑者が事件を起こしてしまったのは、自分の子育てが悪かったのかと自分自身を責めてしまいそうですよね。
年齢は、父親と同じ90歳代だと思われます。
男性よりも女性の方が平均寿命が長く87歳と言われているため、ご健在しているかもしれません。
ですが、50年近くも息子が逃亡していることを考えたら、普通の人よりは寿命が縮まってしまいそうな気もしますよね。
またご健在だとしても、息子の確保と死亡が報じられたことを知ったら相当なショックを受けてしまうでしょう。
もしくは見つかったということで、少しだけホッとした気持ちもあるかもしれません。
指名手配犯の母親ということで、普通の人には考えられないほど相当な苦労をされたことでしょう。
桐島聡容疑者の兄弟は?
福井惇氏の著書「狼・さそり・大地の牙」によると、桐島聡容疑者は4人兄弟だったようです。
- 長女
- 次女
- 桐島聡容疑者(長男)
- 次男
しかし、兄弟の詳細については書かれていませんでした。
兄弟たちも自分たちの生活を守るためにも、桐島聡容疑者の兄弟であることは明かさずに生きてきたのでしょう。
差別や偏見の目で見られることを考えたらそうしますよね。
桐島聡容疑者の年齢から姉2人は70~80代、弟は50~60代ぐらいでしょうか。
70歳の桐島聡容疑者が亡くなったことから考えると、現在は弟である次男は生きている可能性が高そうですね。
とはいえ弟も60代ぐらいであることを考えると、静かな生活を送るためにも、このまま何も語ったりすることはないでしょう。
桐島聡容疑者の嫁は?
桐島聡容疑者の嫁に関する情報もわかっていません。
偽名を使って生活していたことを考えると、戸籍がないため結婚はできないはずです。
ですが、1975年の事件後に桐島聡容疑者は父親にこのような連絡をしていました。
事件後の75年5月20日に渋谷区内の銀行で現金を下ろした後、同31日に広島県の実家に電話をかけ、「岡山に女と一緒にいる」などと父親に伝えたのを最後に、足取りが途絶えていた。
引用:讀賣新聞オンライン
この当時の“女”と事実婚状態にあった可能性は考えられるでしょう。
この電話の後から、桐島聡容疑者の足取りが途絶えているため、“女”の正体についてはわかっていません。
ですが、現在は桐島聡容疑者は一人暮らしだったようです。
というのも今回、桐島聡容疑者は路上でうずくまっているところを発見され病院へと運ばれています。
またアパートの部屋は物で溢れかえっており、足の踏み場もなかったといいます。
さらに、路上でうずくまっていた際には、「スーパーに行く途中だった」と話していることからも、現在は一人暮らしだった可能性が高いでしょう。
誰かと同居していれば、末期がんで死期が迫っている桐島聡容疑者ではなく同居人が買い物に行くはずですもんね。
桐島聡容疑者の子供は?
子供についての情報も出回っていませんでした。
先程の事実婚状態にある女性がいたとするならば、その人との間に子供がいてもおかしくはありません。
ですが偽名で生活している以上、結婚することはできないので、子供がいたとしても女性側の戸籍に入っていると思われます。
桐島聡容疑者が事件を起こしたのは、21歳の時です。
なので、子供がいたとするならば、年齢は40代ぐらいになっているでしょう。
現在、桐島聡容疑者は一人暮らしをしていたようなので、おそらく子供ともしばらく会っていなかったのかもしれませんね。
まとめ
今回は桐島聡容疑者の家族について調査しました。
両親については何も情報がありませんでした。
兄弟は4人兄弟の長男であることがわかりましたが、その他の詳細はわかっていません。
桐島聡容疑者の家族であることがわかれば誹謗中傷に遭い、生活できなくなってしまいます。
またインターネットやSNSがない時代であるため、家族等の個人情報は何も情報は出回っていないのでしょう。
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